
セザンヌは1839年1月、フランス エクス・アン・プロヴァンスで生まれた。
画家になるのが夢で、中学時代からデッサンの学校に通い、絵への情熱を高めた。
ゾラに誘われ、パリでの生活も経験。後に印象派で名をはせていくマネやモネ、ルノワールらと美術論を交わし、芸術を探究した。
銀行家だった父の反対を乗り越えて画家の道に進むが、不遇の時代が長く続いた。
出品した展覧会では、ことごとく落選。酷評を浴びせられた。
人々は、セザンヌの作品を見るや否や、笑いを浮かべ、皮肉を口にしたという。
「セザンヌは怪物だ」 「常識外れだ」と。
極め付きには「紙と絵具をもって遊んでいる子供の方がもっとよく描く」とまで嘲笑される始末だった。
セザンヌは心に深い傷を負う。
認められることのないまま、再び故郷に戻り、孤独の中で、かたくななまでに自己の芸術の精進を続けていった。
そこで題材としたのが「サント・ヴィクトワール(聖なる勝利)山」である。
標高およそ1000の高さに一連の頂がほほ真っすぐに並び、見る角度によって表情を変える。
従来の絵画の常識を覆す先駆的な技巧によって、セザンヌが生み出した″勝利山″の傑作は80点を超えた。
彼は語っている。「あのサント・ヴィクトワール山を見たまえ。何という飛躍だ!何という太陽の激しい渇望だ!」と。
どんなに試練の烈順が吹き荒れようとも、自らの″理想の山″に挑み続けたセサンヌ。
友人に宛てた手紙には、こんな言葉を記している。
「目的に到達するためには勇気が必要なのです」
「私が成しとげねばならない進歩には限りがありません」
「セザンヌは、勝利山に向かって歩き続けていた。描き続けた人生たった。描いても描いても、認められなかった。
どんな素晴らしいものであっても、それが『新しい』というだけで、拒絶されるものなのだ!
たいていの人間は、みなが『いい』と言うものを、ロまねして『いい』と言っているだけなのだ!」
「それでも彼は、自分自身の芸術という山を、あえぎあえぎ登り続けた。
ばかにされようが、それが何だ!最後は、本物が勝つ!
彼は巌だった。彼は、彼自身を『勝利の山』に鍛え上げたのだ。
特別な天才だけの話ではないだれにとっても、自分自身の《サント・ヴィクトワール山》がある。
自分の人生の《勝利山》がある。その山を見よ。登りきれ!」
彼が評価されるようになったのは、死後のことである。
ピカソやマティスといった次代の巨匠たちが、セザンヌの作品を愛好して祟拝し、
そこから新しい芸術世界をつくり上げようとした。
「わしは、画をかきながら、死のう」
・・・67年の生涯を通じて、後世の画家たちに多大な影響を与えたセザンヌは
今日、「近代絵画の父」として仰がれている。
HEROSE ヒーローズ 逆境を勝ち超えた英雄たち 池田大作先生より
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
自分の本当の敵は、誰でもない弱気になる自分の気持ちに打ち勝つこと。
克己心(こっきしん)とは、自己に打ち勝つ心、欲望や誘惑を抑制し、強い意志を持って
物事に取り組む心の持ち方のことです。
言うは易く行うは難し。
でも自分の勝利山を登坂したいです!
2025.06.08 日 花里一馬



コメントを残す