イタリアの最も美しく力づよくかがやいたテノール。
彼の重く輝かしい声質は日本では「黄金のトランペット」と形容さている。
彼は変わり者?
日本には1959年に「第2回イタリアオペラ公演」で初来日し『オテロ』(オテロ)、『カルメン』(ドン・ホセ)に出演。
1956年の第1回公演にも出演予定だったが、直前に13歳の少女と駆け落ちをしてスイスに行き、イタリア諸劇場の出演をすっぽかしたためイタリアへの入国が禁止となり、その問題が尾を引いたためキャンセルになったともいう。
来日の際には飛行機より船を選び、喉に幾重ものマフラーを巻いて大事な喉を守り客室でじっとしており、その間の用事は全て夫人に任せていたという。また、『オテロ』の初日では緊張から出番直前まで金縛り寸前の状態になり、夫人が気付けのウィスキーを飲ませて正気に戻らせた後、堂々たる第一声を発している。
公演後に開かれたパーティーにも出ず、ホテルの部屋に篭りっきりだった。『道化師』では以前から、有名なアリア「衣装をつけろ」の後の「泣きの演技」(「演技」とあるが、デル・モナコの場合は実際に泣いてみせるのである)が評判であったが、イタリア・オペラ公演ではフライングの「ブラボー!」の大歓声に遮られ、仕方なく泣き真似をするしかなかった、と言われている。
飛行機を嫌がったり、出番前に極度の緊張に襲われるのはこの来日の時だけではなく、各地の公演ではいつものことだったと言われている。
その際にはいつも、「自分はもうだめだ」「この舞台では失敗するだろう」「これが最後の舞台だ」などと口走っていたという。(ウィキペディアより)
Un amore così grande と言う歌を聴いて下さい!!
イタリア語のオリジナル歌詞と日本語翻訳を付けていますので、是非 意味を味わって下さい。



話しは変わりますが、劇団四季の演出家 浅利慶太さんは、歌手 越路吹雪さんについて次に評しました。
越路を「シャントゥーズ・レアリスト(真実を歌う歌手)」と評し、心の中の愛や悲しみ、祈りを見事に歌う歌手、感性の中にものすごいひらめきと知的な部分を持っている人であったと語っている。
越路への稽古がどう進められていたのかについて、浅利自身はこう語っている。「ケイコしていてつくづく感じるのですが、越路さんという人は、実に「苦しむ人」なんです。こういう話はこれまで公開したことはないのですが、この3年くらい彼女は苦しんでいます。たとえば愛の讃歌をケイコしていて、「あなたの燃える手で私を抱きしめて」と歌いますね。これを彼女はもう何千回も歌っているわけでしょう。ところが、当の彼女だけが、この歌に対して、歌うたびに白紙の状態なんです。ケイコ場で、ひとり自分の手を見つめたり、恋する人の手というものを想定しながら「あなたの燃える手で」「あなたの燃える手で」と繰り返している。これはどういうイメージなんだろうと苦しんでいる。『愛の讃歌』にしても『サントワマミー』にしても、あれだけ歌いこんでいて、「むつかしい」「どうやって歌おうか」ということなんです。みていると痛々しい感じがする」。
「しかし、この辺に越路吹雪の芸というものの秘密があるのではないかと思います。演出家というものは、俳優の苦しみの証人なんでしょうね。ぼくは、だまってケイコを聞きながら、「そこのイメージはこうではないか」「そこはあなたの求めているイメージとちょっとズレた」とかアドヴァイスしてあげるわけだけど、1曲やるのに1時間くらいかかる。歌詞からじっくり掘り起こしてゆくということですからね。二人だけで数時間ケイコして、終るとゲッソリしている、くたくたになっているわけですね。とにかく、彼女の芸に対する執着、考え方は、実に過酷で、見ていて気の毒になります。もっといい気持になったっていいんじゃないかという気もします。しかし、自らを災難でゆく努力、ある意味では幸福であることを拒むその姿勢が、越路吹雪のあの栄光を支えているのだと思います」
ドラマチックな歌とは?そして人生も。
マリオ・デル・モナコも、越路吹雪も、私たちの心を打つドラマチックな歌として人を惹きつけました。
それは、やっぱり歌う本人が苦しんでいたからなんだ。
本当に苦しんでいたから。
偽物ではない本物。
そして人生も、同じでは、ないでしょうか?
2024.10.06 日曜日 花里 一馬









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